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2016年04月02日

レジェンド近藤藤太氏はすごい!

私のメンター近藤藤太氏に、実は、1976年秋に松本亨高等英語専門学校で、

教えてもらっていたこと、40年後に、気が付いたことは、前回説明しました。

近藤藤太氏は、英語での交渉術の達人ですが、素晴らしい人生哲学の持ち主です。

今日は、読者の皆様とその貴重な体験を分かち合いたいと思います。

藤太氏は、1916年、東京芝白金に生まれる。

父親の転勤のため3歳から4年間ニューヨークで生活する。

5歳で「建設的なケンカ」をし、幼少ながらも「欧米人に勝つ」という意味を悟る。

慶応義塾大学経済学部卒業後、23歳の時、UCLAに留学し、

愛国心に芽生える。

第二次世界大戦の最前線で、苦労の後、マッカーサー総司令部国際貿易部に4年間勤務。

付加価値の大きなニコン、ミノルタなどのカメラ、時計、精密機器の輸出業を

行う傍ら英語を猛勉強する。1950年、貿易会社「KONDO&CO.」を設立。

「英国海陸空軍協会」の日本購買代行に任命され、

日本の代表的商品の買い付けを行うなど貿易の振興をはかる。

1955年より32年間、故岸信介総理大臣の渉外担当側近を務める。

持ち前の語学能力をいかして世界各国のお偉いさんを相手に

総理の右腕として活躍する。

55歳のとき、ポンドショックで、貿易会社が倒産。6億円の負債を抱える。

その1週間後に、百科事典の訪問販売から事業を再開。

世界35カ国をわたり歩いた経験をもとにコンサルタントとなる。

故岸信介総理の指示で自民党の代議士(安倍晋太郎・中島源太郎・

渡辺美智雄・森山欣司氏など)の国際コミュニケーション・トレーニングを担当する。

その後、国際企業大手100社(BS・三井・JAL・博報堂・東京電力など)の

管理職教育ならびにトラブルシューターを行う。

1988年、豪州ゴールドコーストに移住し豪州市民権を獲得する。

以来「大名」と呼ばれ、日豪親善に没頭。

国際トラブルシューターとして活躍しながら、妻とともに幸福で健康、
そして豊かな生活をエンジョイする毎日を送り、2004年11月14日、88歳で大往生。

近藤藤太氏が、なくなる1年4ヶ月前の神田氏との英語の対談で、

本当に伝えたかったことは何か?

日本は、自動車、電子部品等の物の輸出では、世界に名をはせた。

しかし、世界で日本人ほど、経済力と比較して、理解されてない国民はないのではないか?

近藤藤太氏の若いときから、多少良くなっている程度に過ぎない。

確かに、日本人の英語のレベルはこの50年間で、余り向上していない。

この点は、TOEICに興味がある人は、少なくとも努力しなければならない。

近藤藤太氏がなくなるま際に、伝えたかったことは、日本人一人一人が、サムライ精神をもって、

世界相手に堂々と自分の意見をいい、

世界から一目置かれる存在になってほしいということだと思います。

一言でいえば、”Be a good fighter”になれということです。

私も微力ながら、近藤藤太氏の遺志を継いで、海外に対して、

意見を発信して、a Good Fighterとなるよう努力して行きます。

Abe



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